ぼんやり日記

アラフォーのブログです。月一回更新出来たらいいかな。

生き方改革

前回のブログの終盤で、自分の思考のクセを意識的に変えていこうとしている事に触れました。

bonyari380.hatenablog.com

 

以下9項目を解説していきたいと思います。

・自分の欲を相手に押し付けない

好きな気持ちを正直にぶつけたくても、ぶつけられた方の事も配慮しないと今回のような事が起きてしまう。受け入れてもらえそうなら気持ちをぶつけても相手は重く感じないし寧ろ喜んでくれるだろうけど、そうでない場合、受け取る側の負担感を考える。受け取る側への配慮をきちんとする。

・好意の伝え方を上手にする

わたしは、好きな人がモテるタイプだと思っていたので、他の人に取られたくなくて勢い任せに会いたいと言ってしまった。焦らず、時間を掛ける事をリスクと思わないようにする。その間に2人の心的距離が縮まるようなコミュニケーションを心掛けてさり気なく好意を伝えたい。(書きながらむつかしいわなぁって思う…けどモテる人はこれが出来るんやろうね)

・余計なプライドは手放す

今回の件が仲間内に広まってしまうのではないか、と危惧していました。話が広まって「あいつ鬱陶しいな、重いな」って笑い者にされたり、わたしが飲み仲間と距離を置くようになって「あの子が来なくなって良かったね」なんて言われたりしたら嫌だなぁ等と思ってしまって、失恋のショックと同時に自分のプライドが傷付けられる事態を想定してしまいました。しかしこれは余計なプライドが生み出した被害妄想に近い。考え過ぎだし、かっこ悪い事になりたくないみたいな余計なプライドは手放すべきだと思いました。

・「結婚しなければ!」と思い詰めない

約2年片思いしていた間、および元彼と別れてからの4年、いろんな異性といろんな場面で出会ってきましたが、すべての異性を「結婚前提に付き合える人か?」という対象で見てしまっていた。婚活パーティーならまだしも、婚活界隈以外で出会った人までそういう目で見てしまっていた。婚活に於いて大事な意志だとは思うけど、私の場合、結婚しなければならないと思い過ぎて自分で自分を追い詰めていたところがあったので、もう少し力を抜いてもいいのかなと感じました。

・相手がどう思うか、どうするか、決めつけない

わたしの超絶拗らせポイントその1。今回の事に限らずですが、わたしは自分の言動によって相手がどう思ったか、想像して決めつけようとしてしまいます。しかも悪い方に。

今回の件で言うと、【現実】会いたいと言ったのにスルーされてしまった。【想定】相手はわたしの事を鬱陶しく感じた、嫌われたに違いない。断るのもダルいと思われたからスルーした。飲み仲間なのにそういう対応をしたという事は、今後わたしが気まずく感じて飲み会に来れなくなっても良いと思っている。寧ろ一生来るなって思っている。【心情】好きな人に嫌われた、人生詰んだ、生きていけない…辛い

→けど、これらの想定した事って現実に起きてないですよね?もしかしたら当たってるかもしれませんが、それは直接本人に聞かないと答えは出ません。わたしは、答えの出ない事を一生懸命考えて苦しくなってしまうという事が本当に昔から多いのです。逆に、同じ想定をしても「すっぱり嫌われた事やし、心機一転次探そう!」って思えるならこの思考もアリかもしれませんが。実際相手にどう思われたかは永遠に分かりません。分からない事を悩み続ける事で自分も辛くなるだけだし、前にも進めないし、何も解決しない。相手がどう思うかは相手次第で、わたしが決めつける事ではない。

・相手ときちんと向き合ってコミュニケーションを取る

わたしの超絶拗らせポイントその2。コミュニケーション取っているつもりで実は全然出来ていませんでした。わたしは相手と当初より仲良くなれたと思っていましたが、真っ直ぐ向き合ってコミュニケーションを取る事が少なかったように思います。それは、好きだから緊張していたり、嫌われたくなかったり、いろんな思いがあったからなのですが、当たり障りのない話しか出来なかったし、いつもわたしが舞い上がってしまっていたから、わたしは相手が何を考えているのか本当に分からなかった。また、相手も私の事をよく分からん奴だと思っていたと思います。この部分がちゃんと出来ていれば、改革したいポイントの1番目2番目の項目ももう少し要領良く出来たのでは、と思うのです。また、大事な事は男友達を間に挟んで聞いてもらったりしてたのも良くなかったと反省しています。

・思っている事はきちんと伝える

わたしの超絶拗らせポイントその3。上記と関連するところでもあるのですが、好きな人に限らず、昔からわたしは自分の思いをまっすぐ伝えるのが本当に苦手でした。自分の主義主張で相手を否定する事になったり、逆に相手に否定されたりするのが怖かった。だから避けてきた。それを「おしとやか、控え目」と勘違いしていた。そのくせ、好意だけは伝えたくて会いたいって言われて、そりゃ、友達だけどよく分からん奴に会いたいって言われてもなぁ・・・ってなりますね。

・占いに頼らない

拗らせポイントの集大成のようなもの。相手と向き合えていなかったクセに相手の気持ちを知りたくて、占いに頼った時期がありました。一時期だけですけど、あれは自分でも異常だったと思います。彼はわたしの事をどう思っているか占ってくださいって、そんなん直接コミュニケーション取ってりゃ何となく分かるやんっていう。占いを全否定しませんし、運の流れやタイミングは当たる占い師に聞けば良い助言が頂けると思うので、そういう使い方は良いと思います。しかし、特定の相手について聞くのはあんまりよくないと身をもって感じました。

・泣きたい時は我慢しなくていい

いろいろ改善しようと思っても、思い出して悲しくなったり、将来が不安で泣けてきたり、うまくいかない時もあるだろうけど、「泣いてばっかりの自分はダメだ」なんて思わず、思いっきり泣いていい事とします。

 

以上です。

9項目の内「拗らせポイント」と称した3つについては、以前から自覚はありました。自分でもわたしのあかんとこやなぁとは思いつつ、でも変えられなかった。いや、変えようとしてこなかった。

何故なら変わらない方が楽だから。同じ思考回路でいる方が落ち着くんですよ、人間は。楽を選んだツケが回ってきたのかなぁと思っています。

今更遅いかもしれないけれど、やっぱり自分を変えたいという気持ちはあります。

暫くは9項目を意識して過ごすようにしてみます。

子どもの頃、自転車の乗り方を覚える時も初めはバランス感覚やペダルの漕ぎ方等を意識してやるけど、乗れるようになったらそんな事いちいち意識しませんよね。無意識で自転車乗れますよね。

それと同じように、この9項目が無意識に出来るように身につけたいと思いました。

今はまだ難しくて、相変わらずLINEのトーク画面がフラッシュバックして悲しくなるし、「好きな人はわたしの顔なんて二度と見たくないと思ってるはず、わたしなんて生きていない方が良いんだわ」と思ってしまう時があります。その度に「ダメダメ!今のナシ!」と思っています。

 

変われなかったらどうしよう、という不安もありますが、やってみる前から「どうせ変わらない」と決めつけてはいけないと思い、とりあえず1ヶ月くらい取り組んでみて、それでも変われなかったら、その時また考えようと思っています。

 

長くなりましたが、忘れないうちにと思って。

わたしは悲劇のヒロインではない。好きな人は何も悪くない。運もタイミングも悪くない。悪いのはわたし。自分に非があるから、自分が変わらないとこの先の人生にハッピーエンドなどありません。

『好意』という凶器

あれからまた色々考えていました。

自分の想いを受け止めて欲しいという欲だけで突っ走ってしまったわたしは本当に最悪で取り返しのつかない事をしてしまったと後悔しています。

「会いたいと言われて嫌な気になる奴はいないよ。」とか「好意がバレてる分、その気がなければハッキリ断ってくれると思うから誘ってみたらいいやん。」と背中を押してくれる人もいましたが、やはり断るって相当重いし面倒だし労力使うし、受け止めなければならない側はとても厄介だと思います。受ける側が男性なら尚更。

好意は正直に伝えよう!という奇麗事を優先してしまい、相手の気持ちへの配慮が足りませんでした。

挙げ句、周りの友達も巻き込んでしまい、ずっとずっと自分本位な事ばかりしていました。好きな人の目にも、そんな風に写ったと思います。

すべてを失うまで自分では気付きませんでした。

Twitterの方では今回の件も割と詳細にツイートしていました。去年ふられた時には励まして下さるコメントを複数頂いたのですが、今回は何もありませんでした。そこで、わたしがしてきた事って間違っていたんだ、と言う事にやっと気付きました。きっとフォロワーの皆さんは「こいついい加減にしろよ…」とお感じになられていた事と思います。

 

わたしみたいな自分本位な人間は、結婚はおろか彼氏も出来ないと思います。

わたしみたいな自分本位な人間は、社会に必要とされません。

わたしみたいな自分本位な人間は、生きる価値もありません。

正直、もう死にたいって思っています。しかし、自分で死ぬのはそれも自分本位な行動なので、がんばって生きていかなければならないと思いますが、こんな最低最悪な自分を受け入れて生きていくのが本当に辛くて。

自分自身の理想像と現実の自分が違い過ぎてもうしんどいんです。

これ以上がんばれない。

でも、手遅れかもしれませんが、やっと気付けた自分のダメなところをひとつずつでも治していけたら、この生きづらさを和らげる事は出来るかな。

 

失ったものはとてもとても大きい。

わたしは本当に愚かな人間です。

 

1週間経って思う事

詳細は伏せますが、多分わたしは好きな人に嫌われてしまったと思います。しつこくて鬱陶しくて、でも仲間内の人間だから無碍に出来ない厄介な存在。それがわたし。

多分振り向いてもらえないだろうなってのは自分でも薄々分かっていましたが、ハッキリ断って貰って気持ちを切り替えようって思って、つい、会いたいってお誘いしてしまいました。

ところが無視に近い反応が返ってきました。好きな人にここまでさせてしまった自分を恥じましたし、すごく後悔しました。きっと相当不快だったと思います。

「好きな人が後悔するほどの素敵な女性になりたい」だなんてよく言うよ、と先週のブログ読み返して身の程知らずな自分が恥ずかしくて惨めです。

わたしは、好きな人の今後の人生に一生登場してはならない人物です。

もう仲間内のイベントになんか行けない。わたしはみんなの前から消えて亡くならないといけない存在になってしまいました。

諸悪の根源はすべてわたしです。

わたしさえいなければ、好きな人はこれからも快適にみんなと遊べるし、間に入ってくれてた男友達ももう気を遣わなくて済むし。このコミュニティには、社会人になって出来た貴重な友達がたくさんいるが、もう会えない。残念だけど、空気を読まなかったわたしが悪い。

 

ただ純粋に好きだったのに、こんな事になるなんて、辛いね。

でも、優しく丁重に断ってくれていたら、きっとまだまだ好きなままだったと思う。だから、これくらいやって貰った方がわたしにとっては逆に良かったのかもしれない、とも思っている。突き放すのが彼の優しさなのかもしれない。

それに、例えば空気を読んでお誘いを控えたとしたら、今迄通り飲み仲間の1人としてこれからもずっとずっと仲良しでいられたと思う。好きな人は誰に対しても人懐っこく接してくれるので多分わたしは勘違いしてしまうと思う。好意を抱いたままのわたしは、いつか振り向いてくれる日まで延々待ち続けなければならないし、それでうまくいかなかったらそれはそれでダメージが大きいと思う。

だから、先週、これまで友好だった交友関係をブチ壊してしまって良かったのかもしれない。

 

でも、やっぱり毎日生きてるだけで辛い。

仕事中も溜息ばかり。わたしが抱えてる業務が重たいのだと勘違いした後輩が「これ、手伝いますね!」って言ってくれたり、同期が「溜息多いな、大丈夫?」って心配してくれたり、すごく有り難いけど情けない有様だ。

 

それでもわたしはこれからコンパに行く。先月約束した案件だし幹事だから空元気で参加しなければならない。

精一杯笑えるかな。

芸人の人生とわたしの人生

先週のM-1グランプリ、応援していたとろサーモンが優勝してとても嬉しいです。

最後の3組とも本当に面白かったし、決勝に残ったコンビそれぞれがM-1に懸ける思いもすごく伝わったし、彼らに心から敬意を表します。

わたしはとろサーモンがコンビ組んですぐの頃から知っていて、麒麟笑い飯・千鳥の後に続くだろうって思っていたのですが、東京移籍してからなかなか日の目を見ず、地下芸人みたいなポジションに収まってしまって、ゴールデン向きでないダーティなネタもそれはそれで面白かったんだけど、きっと本意ではないだろうなぁと思っておりました。

だから、とろサーモンがあんな煌びやかなセットでゴールデンタイムに漫才をしているという事実だけで、こみ上げてくるものがありました。あれは鳥肌立ったなぁ。

優勝が決まった時、村田さんが「売れないまま終わるんかなって思ってた…」と言っていたのがとても印象的でした。

あるコラムでは「実力はあるのに運をつかみ損ねてきた」と書かれていて、ちょっとだけ最近の自分と重ねて見ているところもありました。(彼らの15年と最近のわたしを重ねて見るなんておこがましい話なんですけどね。)

最近真剣に「わたし、(婚活に関して)上手くいかないまま人生終わるんかな。」って思っておりました。「運やタイミングが悪いところとか、これはもう神に見放されたんかな」とか考えていたり。

そんな事を悶々と考えていた時期に行われたM-1で、とろサーモンに審査員の票が4つ入っていく様子を見て、「わたしの代わりに夢叶えはったわ。」と勝手ながら思いました。今年中に自分の夢が叶う事は無さそうだけど、その代わりにとろサーモンが悲願の優勝を果たした事が自分の事のように嬉しかったです。これからは今までとは違う意味で大変な思いをする事が出てくると思いますが、今後の活躍を楽しみにしています。

 

優勝は逃したけど、和牛のストイックに漫才と向き合ってきた姿はほぼアスリートのメンタルやなって思いました。去年のM-1が終わって、今年のM-1が終わるまでの1年間2人揃って高いモチベーションを維持するって大変だったと思います。優勝できなかったけど、その姿勢がかっこよかった。きっと来年以降もっと売れてテレビでも引っ張りだこになると思いますが、どれだけ売れてもM-1のタイトルは欲しいだろうなぁ。ジャルジャル福徳くんの「『M-1優勝』するなんて、人生イカつ過ぎるでしょ。」 っていうその一言に尽きる。

 

わたし自身はイカつい人生なんて求めていないけど、叶えたい些細な夢や希望はまだいくつかあって、今は1人でもがいてるけど、いつか報われる日が来ると良いな。

その時まで、辛い時は我慢せず40分泣いて8時間ぐっすり眠ろうと思います。

M-1に全力を注いだすべての漫才師さん、お疲れ様でした!あなた方がいるから、辛くて泣きたくて仕方が無い時でも漫才見て乗り越えられた夜がありました。ありがとうございます。

 

涙

  • provided courtesy of iTunes

 ダイノジが出てるPVがまたええんよね。

ぶっ生き返す

ここ数ヶ月、ロクなブログ書いてなくて我ながらもやもやしています。

3年前、元彼と別れた時も大層落ち込みましたが、当時のブログを読み返すと恋愛とは関係の無い日々の出来事を記録していたりしていたのに対して、今はまるで普段の日記が書けなくなってしまいました。症状は3年前より酷いような。失恋の事で頭がいっぱいになってしまったのは、好きな人の事が好きすぎてっていうよりかは、焦りと不安と恐怖と失望が自分の中で大きくなり過ぎたせいだと思います。

「このままではいけない」という意識もあり、沸々と沸き上がってくるネガティブな感情を抑え込もうとするのですが、処理しきれなくてどかーんと暴発してしまいます。

7月の下旬にふられてしまったのですが、あれから今日までわたしはクソみたいな生き方をしていたな、とか思ってしまいます。負の感情で溢れる自分が嫌になって仕方が無いのです。パソコンの前に座って思いつくままキーボードを打ってもこんな事しか書けないのです。完全にバグったとしか言い表せない。

1日でも早くフラットな状態に戻れるようにもがくしかないのかなって思って、これらの感情を成仏させつつ早く生き返りたいなっていう願いを込めて、ホルモン。

ぶっ生き返す

ぶっ生き返す

 

 

今日は楽しみにしていたM-1ブランプリの日なので、敗者復活戦20組+決勝9組⁺最終決戦3組の4分ネタ =2時間ちょっとは笑って過ごしたいと思います。

何年も前から応援していた「とろサーモン」も出るし。

September

9月と聞いて真っ先にaikoの『September』を思い出しました。

恋人と別れた女性の歌で、わたしの場合は片思いが叶わなかったので若干状況は違いますが、すごく歌詞に共感してしまいます。その中でも「雲は晴れない わたしの真上」とか「いつも元気だなんて 決して思ったりしないでね」辺りの一節は本当につい最近言葉通りの感情を抱いていました。

 

twitterの方で散々だったのですが、今週は感情の不安定の波が押し寄せてきて、ふられて1か月以上経つのに全然吹っ切れなくて、悲しくて悔しくて辛くて、生きるのがしんどすぎてがんばれなくなっていました。

今は落ち着いたのですが、暫くはこういう事が定期的に続くのかなと思っています。大きめの地震の後の余震みたいなもんですかね。

30過ぎて片思いがうまくいかなかっただけでギャーギャー騒ぎやがって…って恋愛経験豊富な人や比較的ポジティブな性格の人は思っている事でしょう。自分でも思っています。もっとドライにスマートに物事に対処出来れば良いのになって思う事はたくさんあります。でも、そんな自分をダメな奴だと決めつけたり悲しい感情に蓋をしたり無理して明るく振舞ったりする必要も無いのだと、自分を甘やかしています。しょうがない、こんな人格なんやもん。

ただ、どんな性格であれ前に進んでいかなければならないのは間違いない事で、けれども時には自分の力だけでは前に進めない場合もあるので、友達に弱音を吐いたり、ライブへ行って音楽に助けて貰ったりしようと計画中です。

その為に予定外の費用(ライブ会場が遠方なので)が掛かってきます。わたしの場合、失恋すると出費が嵩むのです。 今思いついたけど、恋愛がうまく行っている時の方が安定して貯蓄出来ているようです。経済情勢に応じて株価や為替の値動きがあるのと同様に恋愛絡みで良い事があったり残念な事があったりで貯蓄額が増えたり減ったり。

上手い事言ったような言ってないような。 

兎にも角にも、弱り果てたわたしを見捨てず、食事に付き合ってくれる友達に感謝。

ありがとう。わたしは本当に友達に恵まれている。

September

September

月に負け犬

 8月も後半、皆様いかがお過ごしでしょうか。わたしは、夏の予定は既に何も無く週末は抜け殻のように過ごしています。

家で惰性の時間を過ごしているうちに、「何かしなきゃ」と突然の焦燥感に駆られ、勢いのまま婚活サイトに登録していました。会員登録が済んだ後に気づいたのですが、去年の今頃も、ロッキンが終わった後の虚無感から婚活サイト(今年とはまた別のサイト)に登録しており、去年と同じことしてて進歩のない自分に嫌気がさしました。ちなみに、去年は婚活サイトに登録した直後に好きな人に出会った為、サイトで知り合った人と会うまでに至る事なく退会しました。

今年、登録した婚活サイトでもマッチングした人はいますが、やはりまだ失恋が癒えず、これ以上異性を探そうという気になれないので早々に退会しようと考えています。何がしたかったんや、わたし。

調子が戻らないうちは無理に相手を探す事は控えようかな、と思います。

未だにふられた好きな人の事を思い出してしまいます。お恥ずかしながら。

好きな人はわたしに、「気持ちは嬉しいけど、今ちょっと仲良くしてる人がおるからおもちちゃんと2人で遊ぶんは難しいねん。」と言いました。付き合う以前に2人で遊ぶ事すら出来なかったという目の前の事実に打ちのめされてショックだったのですが、すごく誠実な対応をしてくれたと思っていますし、時間を経て今思うのは、遊ばれる女性より、遊ばれない女性(わたし)の方が大切にしてもらっているというケースもあるのかなと感じるようになりました。完全な負け犬の遠吠えですが。

男性からのお誘いがちょいちょい多い女性が一般的にモテるとされていて、声を掛けてもらう為にはスキを見せなきゃいけないとか、ある程度色気が無いといけないとか、よく聞きます。それで親密になって本命彼女になれば良いけれど、なれなかった場合、それって本当にモテると言えるのかな?誘われる数は少ないけど、「遊び半分でこの子に近づくのはあかんな」と思われる女性の方が魅力的なのかもと思ったりもするのです。

もう一度言いますが、これは負け犬の遠吠えですので、生暖かい目でスルーしてください。ふられたわたしが虚勢を張ってるだけです。本当はただただわたしが圏外の女だっただけという可能性もありますし。

 

ふられた時の話に戻しますが、好きな人はとてもわたしに気を遣ってくれて、友達として大事にしてくれたと思っています。2人で遊ぶ事が難しいと言われただけなのに、わたしは「それじゃぁこれからも友達としてまたみんなで遊ぼね」等と言ったさわやかな一言が言えませんでした。そして、ひっそりと飲み仲間のグループから距離を置くようになってしまいました。あんなに楽しかったはずの飲み会の思い出は、今となっては思い出せば辛くなってしまうという悲しい現象。

きちんとした別れの挨拶が出来ていないまま、もう会えない状態になってしまったのが、余計に尾を引いている原因なのかもしれないと思いました。

本当は逢いたい。でももう逢えない。

思い出して辛くなって、遠吠えするくらいしか出来る事が無い。

月に負け犬

月に負け犬