ぼんやり日記

アラフォーのブログです。月一回更新出来たらいいかな。

ケチな人の定義

Twitterをやっていると、頻繁に『奢り・奢られ論争』が勃発しているのを目にします。

『奢り・奢られ論争』とは、婚活中の男女の食事代に関し、負担する割合についてTwitter上で定期的に起こる小競り合いの事です。

「男性が全額負担すべき!」

「女性が奢られる前提とは何事だ!」

「平等に割り勘にすべき!」

「割り勘にする男性はケチ臭い!」

など、様々な意見が飛び交っています。

わたしがガツガツ婚活していた時のスタンスとしては自分もお支払いするつもりでアポに臨んでいました。いい子ぶってる訳では無いですが、わたしは飲み食いした分は女性も払うべきと思っていますし、全額負担しない男性をケチだと思った事もありません。

 

じゃあ、どういう人をケチだと思うのかというと、本当は仲良くなりたいのに、行動を自ら起こさない人の事をケチだと思っています。

 

「まだそこまで好きじゃないから」

「自分が好きじゃない人に誘われたら迷惑と感じるから相手にも誘わないようにしている」

このようなクソみたいな言い訳をして自分の行動量を出し惜しみ最小限に抑える行為がケチ臭くて本当に嫌です。

それは昔のわたしの事なんですけどね。

先日、過去のわたしのツイートを見返してダッサ!と思いました。若干ニュアンスが違いますが、要は自分から動こうとはしないけど良さげな人が来てくれたら嬉しいなぁって思ってる待ちの姿勢を、先程のような言い訳で正当化しているのです。あと、こうやって行動に移さない人は、断られて傷つくのも極力避けたいという思いもあると思ってます。

ある時、このままではあかんなと思いました。

 

昔の恋愛の失敗は、好意を押し付けた事ですが、親しくなりたいと思っているのに自分からは何もしないのも良くなくて、その辺りのバランス感覚が大事だと痛感しています。

 

今、少し気になる人がいるのですが、2人で食事に行ったりもしてまあまあ仲良くなれたので、自分の行動力をケチらずにコミュニケーションを取る事が出来て良かったです。ただし、これから更に親密になれるかというと、現状ちょっと難しそうだなと思っています。(気の合う友人関係になっちゃいそう…)

今後もケチ臭い事をせず、距離感を考えながら、もう少しがんばってみようと思います。